伊予岡八幡神社
「山静似太古」と言わしめる古墳群を擁した神社
清和天皇の時代、貞観元年(859年)に奈良大安寺の僧侶である行教律師が、豊前(今の福岡県東部と大分県北部)にある宇佐八幡神宮の祭神を山城の国(今の京都府)に迎える途中、伊予岡の辺りが明るくなったのが沖から見えました。これを神の霊験があったととらえて、勧請(神の分霊を他の地に移して祀ること)されたことが伊予岡八幡神社の由来となっています。
石段は「御難を去る」といわれる57段、嘉永2年(1849年)に再建された楼門は、松山・椿神社の楼門のモデルでもあります。旧大洲藩主の祈祷所でもありました。
社殿のまわりには古墳が散在していて、総面積約175a、県下でも数少ない広大な古墳群になっており、1400~1500年前の古墳時代のものと考えられています。古代の地方豪族(伊予津彦)たちの墓とみられ、円墳八基、前方後円墳二基があり、県指定文化財に選定されています。
また、神社社叢は「照葉の森」と呼ばれ、松山平野唯一の自然林で、狭い面積に100種以上の植物が群生しています。タブ、ホルト、クスなどの巨木からシイ、クヌギ、ツバキ、カシなどが茂り、近年は植物学者からも注目されています。
征露凱旋記念奉納絵馬に描かれた博愛の精神
八幡神社の拝殿には、明治39年(1906年)5月、日露戦争から無事帰還した氏子23名によって奉納された絵馬があります。
この絵馬には、赤十字の腕章をつけた日本の救護兵が敵であるロシアの負傷兵を手当てする様子が描かれています。伊予市から出兵した農村兵士たちが、戦争下であっても人類愛を貫いたことを産土神に報告するために制作され、後世に命の大切さを呼びかけた心打たれる貴重な文化財として、伊予市有形文化財に指定されました。
注連柱(しめばしら)に記された書
明治12年に建立された拝殿前の注連柱には、伊佐庭如矢の書が刻まれています。
「黍稷非馨 朙徳惟馨」(出典は『書経』の『君陳』)
「民不易物 惟徳繋物」(出典は『春秋經傳集』)
いずれも供え物より徳のほうが大切であると説いています。
また、境内末社の上川神社拝殿前には、明治25年に建立された、正岡子規の師でもあった武知五友書の注連柱があります。
「山静似太古 日長如小年」(宋時代の詩人唐庚作『酔眠』より)
山は太古のように静かで、子どもの頃のように一日を長く感じるという意味だそう。境内の様子を表す見事なチョイスに武知五友のセンスを感じます。
住所 | 伊予市上吾川495 |
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お問い合わせ | 089-984-8212 |
営業時間 | 参詣自由 |
駐車場 | 10台(無料) |
その他 | ※境内にある建築物や石造物の老朽化がすすんでおりますので、安全面に配慮の上、ご参拝ください。 ※伊豫岡古墳群の見学は、足元が滑りやすく危険ですので、あまり奥へ入ってしまわないようにご注意ください。 |