瀬戸内の伝統を受け継ぐ木材工場~焼杉の魅力~
- 2025年12月22日
みなさん「焼杉」ってご存じですか
今回は伊予市双海町下灘にある「焼杉」工場で
色々とお話しを伺いました
CONTENS
瀬戸内の伝統的な外壁材「焼杉」
穏やかな伊予灘に面する伊予市双海町。昨今観光スポットとして注目を浴びるJR下灘駅にほど近い場所に、西日本の伝統的な外壁材として人気の高い「焼杉」を製造する株式会社共栄木材の工場があります。
今回は、共栄木材代表取締役社長 西下文平さんにお話しを伺いました。

焼杉ってかっこいい!
株式会社共栄木材は昭和48(1973)年、日本で初めて「焼杉」の工場生産を始めた老舗の木材屋さんで、西下社長は4代目にあたります。

焼杉は、加工した杉材の表面を焼いて炭化させることで、腐食しにくく、耐久性・耐火性に優れた外壁材です。海から吹く潮風に耐える外壁を考え出した瀬戸内の先人の知恵が、伝統を生み今も受け継がれています。
その機能性の高さもさることながら、木目を生かしつつ、また、炭化でできるひび割れも味わい深い真っ黒な外壁材は、まさに「かっこいい」の一言に尽きます。
「木材はアピール要素が薄い産品ですが、様々な取り組みから地元双海町、伊予市の子どもたちに焼杉をもっと知ってもらって、『かっこいい』と思ってもらいたい。」と、西下社長は語ります。
ますます、いよし。ブランドに認定

2代目社長の西下芳雄氏が焼杉の機械を開発する前は、建築現場で職人さんたちが、「三角焼」(杉板3枚を三角柱状に組んで、内側から火を付け一気に焼き上げる伝統的な手焼きの製造方法)を行っていました。しかし、作業者の安全の確保や、品質の均一化、コスト、といった観点から焼杉の文化は減少の一途を辿っていたそうです。
西下社長は、「焼杉という伝統の工業化を目指したことで経済性と持続性をもち、多くの人が気軽に利用できる『庶民の文化』として今日まで生き残る事ができました。そのことに私たちは誇りを持っています。」とにっこり。
そんな焼杉は、令和4年度「ますます、いよし。ブランド」認定品、そして『愛媛のすごモノ』愛媛百貨選に認定されました。
守るための変化とは
現在はゲストハウスとして活用している、工場隣の生家で子ども時代を過ごした西下社長。工場の窓や子どもたちの通学路からは、美しい伊予灘の景色が見渡せます。子どもの頃から見慣れたこの風景を守りたい、そのためにやるべきことを見据え、西下社長はチャレンジを続けています。

海外にまで拡がる焼杉
工場化によって量産、全国流通が可能になった焼杉。実は、最初の焼杉機には重大な欠点があったそうで、板を送るローラーがせっかくの炭を傷つけてしまうというものでした。しかし、「それなら、炭を落としてしまおう」という先代の逆転の発想で、黒の木目が美しい「美杉」という商品ができあがりました。
「美杉」は特に京都祇園の外壁に大いに重宝され、西日本での販売は順調に拡大していきました。もちろん、現在の焼杉機は改良され、昔ながらの素焼きの「クロ」も美しくできあがるようになっています。
一方で、東海地方以北にはなかなか販路を拡大することができませんでした。「昔から、この業界では『関ヶ原は越えられない』といわれていたんですよ。」と話す西下社長。
しかし、「美杉」の次に、炭が手につかないよう塗装を施した「クロ塗装」、そして「美杉」に黒い塗料を塗った「モダンブラック」と新商品を生み出す頃には、焼杉は世界中の建築家からエコでリーズナブル、そして美しいと評価されはじめました。
共栄木材の焼杉は、東京をはじめ日本中の建築に用いられるようになり、関ヶ原を越えるどころか、今や日本の海も越えてアメリカ、デンマーク、チリやタイ等、海外からの注文も受けるほどになっています。
子どもたちに残していきたい想い
西下社長の焼杉にかける想いの根っこにあるもの。それは伝統を受け継ぐ者がいればいいという話だけではないようです。
「地元にちゃんとした製造業の工場があることで、雇用が生まれます。そこが大切です。」
地方の高齢化が進む中、家を建てる人の数は2040年には6割も減ってしまうといわれています。
西下社長は「市場を拡大し、しっかりと雇用を守れる企業になれば、従業員が家を建てようかという気になる。建てた家の子どもたちが、自分たちも家を建てるぞと働き始めて…という循環を生み出したい。企業の責任というか、そんなことを常に考えています。木材って時間軸が長いんです。祖父の植えた木を孫が伐採し付加価値をつけて利用する、そしてまた植樹して…とめぐっていく。森と海はつながっているので、森が豊かになると海も豊かになります。子どもたちにこの双海町下灘の美しい森と海と伝統の焼杉を残したいですね。」と教えてくれました。
最後に、今どんなことに挑戦したいかを聞いてみました。
「下灘という地域性を大切にしたいですね。自分自身も下灘でうまれ育ち、下灘駅の前が毎日の通学路であり、そこからJRに乗って通学していました。下灘駅の駅舎やフェンスなどに焼杉を使って貰えたら嬉しいですね。その為にも、腰を落ち着けてこの地で、地道に製造業を守っていこうと思います。そして、日本中で、世界中で、焼杉の話をしながら、下灘の事、瀬戸内の美しさを語れる人になれるように、日々挑戦していきたいと思います。」
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