大師堂と江山焼きの金剛力士像
厚い信仰心を讃える伝説
湊町の町並みを歩いていると、石造りの楼門・鐘楼が目を引きます。ここは大師堂、名前の通り弘法大師の石像を祀る仏堂です。
今から200年以上前に、伊予市下吾川の旧家によく働く信心深い下女がいました。主人は下女の働きぶりに感心し、四国八十八か所巡りの許可を出しました。
数十日の遍路旅から帰った下女の夢に、度々弘法大師が現れ、「高浜の海に私の石像があるので、これを引き上げて祀れば、日頃の望みが叶うだろう」というので、漁師の叔父に頼み高浜に行ってみました。
すると、本当に石像はありましたが、地元の漁師数人の力を借りても引き上げられません。下女は「私がやってみます」と海に飛び込むと、この石像を軽々と抱え浮かんできました。
そうして船で運んだ石像を湊町の浜から下女が背負い、実家の大平へ帰ろうとしたところ、この地で急に石像が重くなりました。「ここがよい」という意味だろうと思った下女はお堂を立て、弘法大師の石像を祀ることにしました。
毎年4月21日(弘法大師の命日)の開帳日には、カキなどの貝殻がついたままのお大師像を拝むことができます。
郡中を代表する一代窯の江山焼
鐘楼の両脇に、一対の金剛力士像が立っています。この像は、昭和5年(1930年)頃のものと伝えられている、手びねりの焼き物で、郡中を代表する一代窯である江山焼の創始者・槇鹿蔵の作品です。
槇鹿蔵は、明治の中頃から昭和にかけて活躍した陶芸家で、茶器、花器、人形などの楽焼の作品を多く残しています。素朴で風雅な作風は人々に愛されました。特に、秋山好古や東郷平八郎、久松勝成といった政治家や高官との交流が盛んで、明治42年、伊藤博文が満州で暗殺される数カ月前に五色浜彩浜館に来遊した際には庭に窯を用意し、「お庭焼き」でもてなしました。
その際焼かれた、伊藤博文が記した「水 光 山 色 沙 白 松 青 影 裏 之 人 家」の文字と雅号「春畝山人」が入った抹茶茶碗は歴史的にも貴重な工芸品として市指定文化財に認定されています。
住所 | 伊予市下吾川1554 |
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お問い合わせ | 089-994-5852(伊予市観光協会) |
営業時間 | 参拝自由 |
駐車場 | 無し |