鎌倉神社
蒲の冠者を祀る鎌倉神社
称名寺に上がる手前、溜池を左に折れた先に、地元で「鎌倉さん」と呼ばれ親しまれている小さな神社があります。
この神社には、源氏六男の源範頼が兄頼朝から謀反の疑いをかけられ伊豆に流された際、伊予の河野氏を頼って当地に逃れたという伝説があり、拝殿の裏手には1m50㎝程の棹石に「蒲冠者範頼公墓」と刻まれた墓石があります。範頼は遠江(現在の静岡県)蒲御厨(かばのみくりや)で生まれたため蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれていました。
この池の麓にあった五輪塔を範頼の墓として弔っていたのは称名寺ですが、江戸時代に大洲藩主が墓石を建立し、鎌倉神社として源範頼を祀るようになりました。古来より戦いの神として遠く他県からも戦勝祈願に訪れる人が多くいたと伝えられています。
溜池のほとりには臣下の墓といわれている10数基の小さな五輪の墓もあります。
源頼朝に翻弄された人生
源義経と供に木曽義仲を討ったり、壇ノ浦の戦いでは平家追討に功績を残すなど、源氏のために大いに活躍した範頼でしたが、ただ一度の不用意な発言から謀反の疑いをかけられ、伊豆の修禅寺に幽閉されます。
伊豆修繕寺には範頼の墓がありますが、その最後は「越前(現在の石川県と福井県の北部)へ落ち延びた」、「武蔵国横見郡吉見(現在の埼玉県比企郡吉見町)の吉見観音に隠れ住んだ」など諸説あり、いずれもさだかではありません。
ただ、範頼が持っていたという一寸八分(5.5㎝程)の金の毘沙門天が、称名寺内のエノキを伐採した時に出たと記された古蹟誌もあり、もしかすると、ここが本当の範頼の墓かもとロマンを感じずにはいられません。
夏目漱石最古の句碑
社殿前に、夏目漱石の句碑があります。全国にある漱石の句碑としては最古のもので、2句1基のめずらしい句碑です。
「蒲殿の いよいよ悲し かれ尾花」
「木枯らしや 冠者の墓撲つ 松落葉」
句碑の裏面には村上霽月(松山市の俳人、子規・漱石の友人)書とあり、「明治28年夏目漱石君 松山中学在職中このところに遊びしときの句なり」と記されています。
住所 | 伊予市上吾川1492 |
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お問い合わせ | 089-982-1710(称名寺) |
営業時間 | 参詣自由 |
駐車場 | 無し ※称名寺の駐車場をご利用ください |